Archive for the ‘雑感’ Category

四半世紀も前のことだ。
ある土地にある女がいた。女には息子がいた。
女は息子を連れて、占い師のところへ行った。その土地には、そういう風習というか慣習があったのだった。
女は占い師に息子をみせた。つまり、占い師はその女の息子を見たのだった。
占い師は言った。
「ほうほう。この子は食べものには困らないねぇ。一生、飢えることはないだろう。めぐりくるいろんな人から恵みを与えられるだろう」
*   *   *
「しかし、本当にあの通りね。あなたは小さい頃から知らない人からでも、お菓子なんかをよくもらっていたのよ」
<あの日>から十年ほどの時間が流れ、女は十年ぶん年老いて、酒に酔っ払っていた。酔うと、昔話をはじめるのだった。
息子もまた十年ぶん成長していたが、それは植えた木が十年ぶん大きくなるのに似ていて、つまり人間的な十年の成長とは言いがたい。体は一応、大きくなったのだ。
それを示すかのように、この昔話を聞いて彼が思ったことは、(ぼくは将来、ヒモになって生活ができるのだろうか)とか(こんなに昔話ばかりして、この人は死んでしまうんじゃないか)とか(ひなたで気のすむまで昼寝がしたい)ということだった。
*   *   *
プロジェクトも終盤になると、徐々に人が抜けていってさびしくなる。
四月末でTさんも抜けて、とうとう私は一人になった。
つまり、ゴールデンウィーク明けの今日、隣の席にTさんの姿はなく、そこには空白があるだけだ。
パソコンを立ち上げてメーラーを起動するとTさんからメールが来ていた。
*   *   *
お疲れ様です。Tです。
カップラーメンがひとつ余ったので、机の引き出しに入れて置きました。
食べちゃってください。
短い間でしたがお世話になりました。
*   *   *
私は机の引き出しをあげた。
はたして、そこには日清のカップーヌードルが一つあった。
そのとき私はもう十年も前のこと、さらには母親の昔話の中の、記憶にもない二十年以上も前のことを思い出していた。
あの占い師の言葉は、祝言にも呪詛にも似ていて、いまだに私をつかんで離さない。
しかし、記憶にもないことを思い出した、とは思い出したといえるのだろうか。
だから嘘です。
*   *   *
僕はカップヌードルを持って帰ろうと思った。

すなわち、黄金週間。
私は明日から(4月28日 水曜日)ごーるでんな日々に入ります。
5月2日は、友達の結婚式の二次会に行って、むかしむかし同級生だった人たちと会います。
5月4日は、なんとなく文化的にすごす予定です。
その他は、特に予定もありませんので、部屋の片付けをするか、寝ます。
ひそかに静岡に行きたいなあ、と思っていますが、身体は動きません。

と、そんなことをぼんやり考えていたら、Iさんから「水曜どうでしょう」のDVD全13巻を貸し出されました。
というわけで、私のごーるでんは日々とは毎日が水曜日になるのでしょうね。

これにはもちろん経緯があるのですが、簡単にいうと昨日、飲みにいって、アダルトな話から店員さんがモデルみたいだという話から宇宙の話まで、脈絡もなくおしゃべりが進行していたら「水曜どうでしょう」の話になり、Iさんが貸してくれることになった。
というわけです。

「奇行」と聞くと、なんだか、あやしげな雰囲気を思うけれど、意味を調べると、
「普通とは変わった奇抜な行動。 」
とあり、では「奇抜」とは何か、調べると、
「(1)思いもよらないほど変わっている・こと(さま) ― (例)奇抜なアイディア」
「(2)他に抜きんでてすぐれている・こと(さま) ― (例)いかに奇抜なる天才でも」
であり、あやしげな雰囲気というより言葉自体は、どちらかというと前を向いている印象になる。

   *   *   *

中二で成長が止まっていて、それからは勝手に時間が流れて、気がつけば二十七歳を過ぎていて、今日は月曜日である。
明日は火曜日だし、明後日は水曜日だし、明々後日は木曜日で、弥明後日は金曜日、五明後日は土曜日で、六日後は日曜日。その次の日はまた月曜日である。

   *   *   *

人はそれぞれ異なる世界観を持っていて、けれど、義務教育やら社会生活を通じて、だいたい似たような世界観を構築しているから、それほど深刻な対立は日常では起きない。
たとえば僕の世界観は、一九九九年七月に人類は一瞬のうちに滅亡したのだけど、あまりにも一瞬だったので、みんな死んだことに気づかずに二十一世紀を迎えてしまった、というものだ。
つまり、「幽霊は信じる人には実在するが、信じない人には実在しない」というやつだ。
結局のところ、あまりかわりばえのしない日常は続くのであり、だからみなさんとそう変わらない世界観のバリエーションのひとつといえる。
だからもし、「僕の曲をいろんな人に聴いてほしい」と思ったからといって、渋谷だとか新宿だとか大勢の人が行き交う雑踏で、いきなり大音量で音楽をかけて叫んだり、歌ったりはしない。
なんとなくそれは現実的なにおいがしない。
けれど実際にやる人はいて、それだけ内に持つ衝動が大きいのだろうが、何より世界観が異なるという思いを強くする。
一体、それが現実的だと思えるなんて。どういうことなんだ、と。
結局は、警察がやってきて、途中で音は切られるのであり、そのまま補導されてしまうのである。
しかし、ここで改めて思うのは、今、ここ、この世界では、人の集まっているところで大声をあげて歌ったりする自由はない、という現実で、かすかにそこに僕は違和感を覚えるのである。

   *   *   *

どういうことか、というと、僕はいまだに比喩的にであるが中二的性質を引きずっているということで、最近、この曲を聴いて揺さぶりをかけられ、中二へと退行しはじめているということ。
というわけで、神聖かまってちゃん(ふざけた名前だ哂)、「ロックンロールは鳴り止まないっ」
※ネット上に散乱している、さしてつながりがあるとも思われないテキストをコピペし、テキトーに改変しました。

※動画貼り付けできないわー。objectタグ消えるし、なぜか。謎。リンクで我慢。

本日でH氏とY氏が現場を離れる。ありがとう。さようなら。また会おうね。
そして、もう少ししたらS氏もよそへ旅立ってしまう。
なんてこった。
これは予想していなかった。

そんなわけで予想外の展開に呆然としている今日この頃、なんだかんだいって桜が咲きはじめております。

「マナカマナ」というインドカレーのお店がある。
通りを歩いていると、インド人(らしき人物)が会釈をしながらチラシを配っている。足早に通り過ぎるが、ふと見ると、ビルの1階に「マナカマナ」がある。
まず看板が目に入るのだ。
私はまず「マナカナ」と頭で読み、それから、あっ「マナカマナ」だ、と修正する。
店の前を通り過ぎるたびに、そのようなことが頭の中で起こる。
それで、「マナカナ」のマナとカナなら、どちらと結婚しようか、と一人かんがえる。
遺伝子はどちらも同じである。
私はマナ(あるいはカナ)と結婚する。
私たちの結婚生活には、ごく平凡な危機があり幸せがある。二十年、三十年、四十年と一緒にいるだろう。
そしてついに私が死ぬ時がくる。
私は病院の真っ白なベッドに寝ている。もう起き上がる力もない。老いているし、もうそろそろ死ぬのだから。
傍らにはマナ(あるいはカナ)がいる。
彼女も年老いたが、それはそのまま時間の経過が美しさというような老い方である。
彼女は本を読んでいるか、毛糸で何かを編んでいる。
たぶん、それは、ほのぼのとした午後である。
私はふと、
「マナ(あるいはカナ)」
と呼ぶ。
彼女は手をとめて、立ち上がり、私の顔を覗き込む。そして、
「わたしはカナ(あるいはマナ)ですよ」
という。
私は一瞬、何のことかわからないが、彼女はもう一度くりかえす。
「わたしはカナ(あるいはマナ)ですよ」
「・・・いつから?」
「う、ふ、ふ、ふ。・・・それは秘密です」
私は羞恥と幸福がいりまじった感情を目にあらわし、と同時に驚愕のうちに事切れる。


というわけで「マナカマナ」へは一度も行ったことがない。

ゆうがたごろ、水を飲んだ
ら、
水がへんなところへ入って、むせた。
尋常ではなかった。
もう一度、言おう。
尋常ではなかった。
うまく息継ぎもできず、顔が真っ赤であった。
「顔が真っ赤だ」
と言われたので、顔は真っ赤であったのだろう。

そんな私に、やさしい人がしょうがのどあめをくれた。
しょうがのどあめ? と思った。
なんか違うと思う。
しかし、私はしょうがのどあめを食べた。
しょうがのどあめはしょうがの味がするのです。

今日は、ダグラス・マッカーサー君の誕生日である。
生きていれば、マッカーサー君は130歳であった。
マッカーサー君は、1880年1月26日に生まれた。
生まれたばかりのマッカーサー君は、自分が将来、GHQ最高司令官となってパイプをくわえながら日本を占領したり、かのすめらぎと並んで写真を撮ったりすることになるとは、想像もしていなかっただろう。
いや案外、軍人一家だったから、そんなことは想定の範囲内かもしれぬ。
マッカーサー君は、1964年4月5日に老衰で死んだ。
おだやかな顔であったかどうかはわからない。

ついでに、僕も今日、たんじょうび。

「しもたざわ」さんという人がいる。
実に、おしい。
あともう少しで、下北沢(しもきたざわ)であった。

ブログのタイトルは小池光の歌集から。

地球上の「私」を点としたとき、私は宇宙空間に対し、24時間をかけて実にきれいな円を描く。
ということを考えた。
考えたあとで、この考えはいくらか間違っていると思った。
公転を考えていなかった。

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