Archive for 5月, 2010
四半世紀も前のことだ。
ある土地にある女がいた。女には息子がいた。
女は息子を連れて、占い師のところへ行った。その土地には、そういう風習というか慣習があったのだった。
女は占い師に息子をみせた。つまり、占い師はその女の息子を見たのだった。
占い師は言った。
「ほうほう。この子は食べものには困らないねぇ。一生、飢えることはないだろう。めぐりくるいろんな人から恵みを与えられるだろう」
* * *
「しかし、本当にあの通りね。あなたは小さい頃から知らない人からでも、お菓子なんかをよくもらっていたのよ」
<あの日>から十年ほどの時間が流れ、女は十年ぶん年老いて、酒に酔っ払っていた。酔うと、昔話をはじめるのだった。
息子もまた十年ぶん成長していたが、それは植えた木が十年ぶん大きくなるのに似ていて、つまり人間的な十年の成長とは言いがたい。体は一応、大きくなったのだ。
それを示すかのように、この昔話を聞いて彼が思ったことは、(ぼくは将来、ヒモになって生活ができるのだろうか)とか(こんなに昔話ばかりして、この人は死んでしまうんじゃないか)とか(ひなたで気のすむまで昼寝がしたい)ということだった。
* * *
プロジェクトも終盤になると、徐々に人が抜けていってさびしくなる。
四月末でTさんも抜けて、とうとう私は一人になった。
つまり、ゴールデンウィーク明けの今日、隣の席にTさんの姿はなく、そこには空白があるだけだ。
パソコンを立ち上げてメーラーを起動するとTさんからメールが来ていた。
* * *
お疲れ様です。Tです。
カップラーメンがひとつ余ったので、机の引き出しに入れて置きました。
食べちゃってください。
短い間でしたがお世話になりました。
* * *
私は机の引き出しをあげた。
はたして、そこには日清のカップーヌードルが一つあった。
そのとき私はもう十年も前のこと、さらには母親の昔話の中の、記憶にもない二十年以上も前のことを思い出していた。
あの占い師の言葉は、祝言にも呪詛にも似ていて、いまだに私をつかんで離さない。
しかし、記憶にもないことを思い出した、とは思い出したといえるのだろうか。
だから嘘です。
* * *
僕はカップヌードルを持って帰ろうと思った。