「奇行」と聞くと、なんだか、あやしげな雰囲気を思うけれど、意味を調べると、
「普通とは変わった奇抜な行動。 」
とあり、では「奇抜」とは何か、調べると、
「(1)思いもよらないほど変わっている・こと(さま) ― (例)奇抜なアイディア」
「(2)他に抜きんでてすぐれている・こと(さま) ― (例)いかに奇抜なる天才でも」
であり、あやしげな雰囲気というより言葉自体は、どちらかというと前を向いている印象になる。

   *   *   *

中二で成長が止まっていて、それからは勝手に時間が流れて、気がつけば二十七歳を過ぎていて、今日は月曜日である。
明日は火曜日だし、明後日は水曜日だし、明々後日は木曜日で、弥明後日は金曜日、五明後日は土曜日で、六日後は日曜日。その次の日はまた月曜日である。

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人はそれぞれ異なる世界観を持っていて、けれど、義務教育やら社会生活を通じて、だいたい似たような世界観を構築しているから、それほど深刻な対立は日常では起きない。
たとえば僕の世界観は、一九九九年七月に人類は一瞬のうちに滅亡したのだけど、あまりにも一瞬だったので、みんな死んだことに気づかずに二十一世紀を迎えてしまった、というものだ。
つまり、「幽霊は信じる人には実在するが、信じない人には実在しない」というやつだ。
結局のところ、あまりかわりばえのしない日常は続くのであり、だからみなさんとそう変わらない世界観のバリエーションのひとつといえる。
だからもし、「僕の曲をいろんな人に聴いてほしい」と思ったからといって、渋谷だとか新宿だとか大勢の人が行き交う雑踏で、いきなり大音量で音楽をかけて叫んだり、歌ったりはしない。
なんとなくそれは現実的なにおいがしない。
けれど実際にやる人はいて、それだけ内に持つ衝動が大きいのだろうが、何より世界観が異なるという思いを強くする。
一体、それが現実的だと思えるなんて。どういうことなんだ、と。
結局は、警察がやってきて、途中で音は切られるのであり、そのまま補導されてしまうのである。
しかし、ここで改めて思うのは、今、ここ、この世界では、人の集まっているところで大声をあげて歌ったりする自由はない、という現実で、かすかにそこに僕は違和感を覚えるのである。

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どういうことか、というと、僕はいまだに比喩的にであるが中二的性質を引きずっているということで、最近、この曲を聴いて揺さぶりをかけられ、中二へと退行しはじめているということ。
というわけで、神聖かまってちゃん(ふざけた名前だ哂)、「ロックンロールは鳴り止まないっ」
※ネット上に散乱している、さしてつながりがあるとも思われないテキストをコピペし、テキトーに改変しました。

※動画貼り付けできないわー。objectタグ消えるし、なぜか。謎。リンクで我慢。

3 Responses to “かまってちゃん”

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